80年代 No.39 1987.3/4月号
芦生の森をめぐって
ナナオサカキ vs 河野昭一(京都大学教授・植物学)
『芦生すなわち地球』に至るまで
芦生のダム建設に反対する連絡会
「何や妙なおっさんが京都に来るそうやで」「話でも聞きに
行こうか」ということで、ナナオのところに連絡会のメンバ
ーがおうかがいをたてに行ったのがこの集会のすべてのはじ
まりです。話をするうちに、芦生の問題はすなわち石垣島白
保のサンゴ礁問題と同根であり、ナバホインディアンのこと
も考えねばならず、つまるところは地球の問題である、とい
う妙なおっさんの情熱にかられて、そのような妙なおっさん
の相手は大先生にしかつとまらぬであろうという結論のも
と、河野先生に対談の御相手の相談に行ったところ快諾して
下さり、この集会へとつながりました。それでは芦生問題と
は一体何なのでしょうか。
京都盆地の北、丹波山地の原風景を偲ばせる山々がなだら
かにつらなるその奥に、日本海に注ぎ込む由良川の流域があ
ります。京都・滋賀・福井の県境地帯であるこの芦生は、古
来山の民との深いかかわりあいをもちながらも、戦後のすさ
まじい大規模乱開発の波をうけずに、昔ながらの風景を残し
ている原生林地帯であります。昔はいくらでもあったはずの
ごく普通の常緑ー落葉広葉樹林が、人間の狩猟・採集生活の
よりどころでもあったあの豊かな森が、不便であったために、
たまたま演習林となったために、現在そっくり残っているの
です。この芦生の森を、京都帝国大学が旧知井村(現在美山
町)から九十九年間の契約で借りうけたのは、一九一二年(大
正十年)のことでした。演習林にとってすべての誤算だった
ことは、この四二〇〇ヘクタールの森が借地であったことに
はじまります。この今となっては夢のように美しいとしか言
いようがない森に、関西電力による揚水発電ダムの計画が持
ちあがったのです。
この発電所計画は、京大芦生演習林(京都府北桑田郡美山
町)内に上部ダムを、ひと山越えた福井県の名田庄村に下部
ダムと発電所を建設し、出力調整のきかない原子力発電所の
夜間余剰電力を使って揚水、昼間の電力消費ピーク時に水を
落として発電しようというものです。現在の計画では福井県
の大飯原発三、四号炉とセットになった揚水式発電ダムとい
うことになっています。揚水式ダムの性格上湖面は一日に数
十メートルの上下変動をくりかえし、周囲は立入禁止とな
り、湖岸は削りとられ地肌を露出し、湖水の濁りは絶えるこ
とがありません。またダムの本体はロックフィル式ダムであ
り、材料は現地芦生演習林内で調達することになっていま
す。つまりダムとは別に山が一つ削りとられるのでありま
す。このような恐ろしげなダムが計画されているのです。
この発電所は今から二十年前に計画されましたが、当初の
計画は一九六九年、京大並びに住民の反対により棚上げとな
りました。しかしその後も地元、特に名田庄村のダム誘致運
動は続けられ、ハ十年代にはいって再びこの計画が浮上して
きたのです。今回の計画では、ダム建設予定地が、最初の計
画の上谷から、現在その大部分が造林地になっている下谷に
移されています。二十年前の計画のときには、この下谷もブ
ナ・トチの生い繁る美しい谷でした。しかし最初のダム計画
が頓座した時点から下谷の伐採ははじまり、現在演習林当局
が下谷にダムをつくってもよい(時々よいと言うし、時々ダ
メだと言う)とする理由に、下谷は造林地で残すべき自然は
ない、ということを言います。このとりひきとも言える計画
変更の裏に、当時林学の教授であった四手井網英氏の姿が見
えかくれするのです。
京都大学は八二年の関電の予備調査を、その是非を検討す
ることなく受け入れました。その後学内、学外、地元で反対
運動が盛り上がり、八四年、演習林長は「関電のダム建設の
ための本調査受け入れは許可できない」という声明を一旦発
表します。しかし地元に対してはその裏で、「関電からの申
し入れでなく、地元からの申し入れなら許可しないこともな
い」と耳うちし、同年九月「山村振興計画」と名を変えて、
美山町長から京大に対しダム計画が提出されてきます。この
振興計画は、演習林内に一大レジャーセンターをつくる計画
なのですが、その中心にあるのは人造湖(芦生ダム)なので
す。一九八五年には、その計画の名のもとでダム建設調査が
おこなわれ、翌一九八六年六月に美山町長より、山村振興計
画実現のための下谷とその周辺の返還の申し入れが、京大に
対してなされました。そしてこの申し入れに対し、再び演習
林は「一部返還には応じられない」との決定を九月に下すの
です。この二転三転する演習林の姿は、悲しいばかりです。
どうしてもダムをつくるぞという地元町長と推進派は、十二
月地権者総会を開き、演習林の林業経営を議題とし、何とか
一部返還(全面返還?)を実現させ、ダムを具体化しようと
策をねっているそうです。
この名田庄村や美山町長を中心とする、ダムのもたらす宝
くじ的な金をめぐる熱烈なダム誘致運動の中にあって、ダム
をつくらず自然を守る地元の運動はどうなっているのでしょ
うか。ひとつには、二十年前のダム計画のときに精力的に署
名・学習活動をおこなった反対期成同盟の流れをくむ「芦生
の自然を生かし守る会」があります。また、由良川の最源流
美山町では最奥の在所、芦生の今回のダム建設に対する積極
的な反対姿勢は示唆的であるでしょう。その背景には、芦生
が一九六〇年代はじめからとりくんだ、自然を生かし守ると
いう村おこしの活動の中でつくられた「なめこ生産組合」が
あります。燃料革命、高度経済成長の中で炭焼という現金収
入の道がなくなって間もなく出発、わずか十数戸の在所が生
み出したこのなめこ印の商品は、現在美山町農協あつかい農
産物品の中で、米に次いで第二位を占めるところまで成長し
ています。無内容、無方針の大学・演習林に比し、一貫して
自然を守りそこに暮らすという態度をつらぬく由良川最奥の
村の姿に学ぶべきものははかりしれません。全国の山村問題
を解く一つのかぎだと言えるでしょう。
芦生問題における最大の難問は、三十三年先の契約切れよ
りも先にやってくる、十〜十五年先の全国の大学における演
習林解体です。そのときに地元・大学・市民をも含めた、原
生植生を残すという理論・運動が、どのようなものを提示し
うるかということが問われると思います。
(以下は「芦生のダム建設に反対する連絡会」主催で行なわ
れた、一九八六年十二月六日、京大楽友会館でのスライド上
映後の対談を短くまとめたものです。〈編集部〉)
芦生の森の特色
河野 今日、本州の、特に日本海側で、海岸から標高一千メ
ートル前後の低山帯に及ぶ地域に、自然植生がまとまった形
で残っている所は非常に少なくなってきています。植物生態
学者は、日本のかつての植生の姿を表わす一つの方法とし
て、潜在自然植生図というのを作っています。その植生図に
よりますと、日本海地域もかなり北まで、俗に言う照葉樹
林、シイとかカシ、タブなんかを主体とする常緑広葉樹の林
から成ってるように描かれています。ところが、新しい花粉
分析の結果や、いろいろな遺跡の発掘調査なんかが進んでい
く中で、日本海地域の低地帯の自然の姿は、私たちがイメー
ジに描いてたのとはだいぶ違っていたのではないかという情
報が集まってきています。
富山県の魚津という町の近くで、港を造った時に、海底の
比較的浅い所から大変大きな杉の林の痕跡が見つかりまし
た。この杉の年代を測ってみますと、わずか二千年から二千
五百年の古さです。ということは、おそらくかつては海岸近
くまで、杉に代表される温帯性の針葉樹林が鬱蒼と茂ってい
たことを物語っています。それから、日本のあちこちの遺跡
から出てくる林の中には大変杉が多いということが、新しい
事実としてもたらされつつあります。
私は先日、北アメリカ西岸のオリンピック半島で、相当広
大な面積で残ってる温帯性の針葉樹林を見る機会がありまし
た。ここの気候条件は、日本列島の日本海地域に似ているん
です。私はそこに佇んだ時、おそらく日本海地域の低地帯に
も、杉や檜を中心とする非常に見事な針葉樹林があったんで
はないかと考えたわけです。そういった視点から見まして、
芦生の天然杉を中心とする植生は、西南日本、とりわけ近畿
一円においては最もまとまった形で、かつて日本海地域を中
心として存在していた自然の姿を伝え残しているんではない
かと思うんですね。
日本で天然杉の林が残ってるのは、秋田杉、富山県の立山
杉、そして芦生杉。それから皆さんもよくご存知の屋久杉。
杉のかつての姿を残した植生は、日本列島ではもはや大変断
片的にしか残っていない。しかも、これらの杉は純林を作っ
ているのではなくて、多くの地域において見られるように、
ブナとの混淆林を作っているのが大変特徴的であるわけで
す。芦生は、やはり日本列島の本当の自然の姿を残してい
る、非常に貴重な地域として位置づけるべきだと私たちは思
っています。改めて申すまでもなく、それだけまとまった自
然の林であるということは、この地域の自然が豊かな動物相
を併せて育んでいくだけのキャパシティを持っているという
ことです。
それからもう一つ。ダム建設によって河川の下流が最もひ
どく荒れた最近の事例は、富山県下の黒部川です。これは、
黒四ダムを建設しただけでなく、その下流にさらにニケ所に
わたってダムを建設する計画がたてられ、すでにその一つは
建設されています。皆さんがそこへ行ってみたら、ダム建設
による河川の荒廃がいかにすさまじいものであるかというこ
とを目のあたりにされるでしょう。それだけでなく、黒部川
を何段階にもせき止めたことによって、上流から運ばれてき
て富山湾沿いの海底を保護していた土砂を取り除く結果にな
っているんですね。ですから、ダム建設は一時的に自然を壊
すだけでなく、非常に長期的に見ても、かなり広い範囲の自
然に対して測り知れない影響を及ぼしているということを、
我々は認識していくべきだろうと思うんです。もちろん、地
域の人たちの生活やいろんな面にわたってダム建設の影響が
及んでくることは言うまでもないことですけれども。
最後に一言付け加えますと、県によりましては民有地であ
っても自然保護地域として指定する施策をとって、非常に成
功しております。断片的な自然であっても、まとまった地域
の自然の原形を残すようなものについては、大変努力をして
保護している県があります。京都府は、全国の中でそのよう
な地域指定がIヶ所もない三つの県の一つです。我々はこの
事実を、こういった機会に厳粛に受け止めるべきではないか
と思います。言うまでもなく、京都大学は演習林として芦生
の大事な自然を預かってるわけですから、そのことに対する
我々の責任は大きいということを付け加えて、私の簡単な補
足的なお話を終わらせていただきたいと思います。どうもあ
りがとうございました。(拍手)
日本の自然の荒廃
ナナオ 芦生の森に近い滋賀県側の村、朽木村の生杉の友だ
ちの所に十日ほど世話になって、今朝森から出てきました。
芦生の森ではブナはもう葉を落とし始めていて、コナラがき
れいに色づいて、おそらくこれで紅葉もおしまいでしょう。
実は、こういう集まりに顔を出すよりは、芦生の森でみんな
と一緒にドブロク飲んで、歌を歌って踊っていたいんです
が、浮世の義理と言いますか‥‥(笑)。ああいう森を伐る
なんて初めからおかしいんだから、こういう集まりが持たれ
なきゃならないこと自体がどこかおかしい。世の中が狂って
しまってる。そういう感じで、今日はここへ来ました。
日本の森。フィンランドのような特別な地域を除いて、日
本は珍しく植物が豊かです。七十パーセントもの林野を特つ
国はあまりない。その日本の原生林、奥山が、なぜこういう
ことになったのか。
一九五五年、僕は初めて奥秩父の山に入りました。ただ山
に登るんじゃなくて、山に住むつもりで、彫刻をやる友だち
と二人で入った。そこに三ヶ月ぐらいいて、それから日本中
の原生林を歩いてみたくなったんです。屋久島、知床、朝日
連峰。それから四国の名半利、九州の祖母、九重。このあた
りでは大峰から熊野。あとは北アルプスとか東北の早池峰と
か、日本の森の面白いところをなるべく歩いてきたつもりで
す。ちょうどその頃から、林野庁の大規模な伐採と植林が始
まった。確か一九五六年だと思う。六十年代以降、オリンピ
ック、万博、沖縄海洋博と、次々にすさまじい破壊が進行し
てきました。大型哺乳類のクマやシカ、カモシカなどもずい
ぶんいなくなった。それからサル。今日本の山を歩いていて
も、めったにサルに会わなくなったね。そして鳥。トキはも
ちろん危いし、コウノトリはわずかに八重山諸島に来るぐら
いで、内地ではほとんど見ることができない。
こういう奥山の荒廃と同時に、里山、部落に近い山が荒れ
てきました。里山で炭を焼き、山菜を採り、木の実を拾っ
て、山村は成り立ってきたのに、今や日本の山村はほとんど
廃村となってしまった。杉や檜の人工林はほとんど値打ちが
ないから、僕が十年ぐらい住んでいた長野県の山奥の村など
では、杉にほとんど手をつけていない。枝打ちもしていな
い。そしてどんどん山が崩れている。山村は森そのものと非
常に密接に関わって生きてきたから、平地の村や町では全然
見られない特別な意識の構造があり、特別な信仰の形があ
り、非常に独特で自然なサイクルをずっと築いてきていた。
それが今、どんどん失われていく。
それでは、森から流れ出ていく水はどうなっているのか。
人工堤防の虚しさ、ダムの馬鹿馬鹿しさ、そういうことはも
う今さら言うまでもないことです。僕は、川をカヌーで下り
ます。去年は、リオ・グランデをカヌーで下った。日本で
は、いったいどこでカヌーをやればいいか。四国の四万十川
と北海道の天塩川、この二つだけは何とかカヌーで下りたい
誘惑を感じるけれども、他の川は全然そういう誘惑を感じな
い。さて、海はどうなってるのか。日本の海岸は、五十パー
セントが人工海岸になってしまいました。一番問題になって
るのは、サンゴ礁とマングローブ。僕は石垣島の白保のサン
ゴ礁のことに前から関わっていて、アメリカでもその話をし
ました。そうすると、「ナナオは冗談を言ってるんじゃない
か」という返事が返ってくる。みんな信じない。サンゴ礁を
つぶして飛行場を造るなんてことは、彼らの理解を全然超え
ているんだ。僕が資料を見せたり、写真を見せたり、具体的
な数字を挙げて説明したりすると、やっと納得してくれる。
さて今度は、水に住む動物たち。ジュゴンは、日本の近海
ではもう見られない。カワウソは、四国のどこかでわずかだ
け生き残ってる。それも川に住めずに、海辺で海のものを獲
ってかろうじて生きているようだ。それからアカウミガメ。
屋久島からトカラ列島、奄美諸島、沖縄諸島を歩くと、時々
死んだり死にかけたりしたウミガメが漂着しています。お腹
を裂いてみると、たいていタンカーを洗った時の石油の塊が
詰まって、消化できずに死んでいる。まことに悲惨な光景で
す。
足りないものは何?
ナナオ 我々の文明とは、現代二十世紀の目本の文明とは何
なのか。京都の街を歩いてて、どうしてこう病院が多いの
か、僕にはどうも理解できない。人間はとてもすばらしい動
物だと僕は思う。歌い、祭り、祈り、愛することのできる動
物。それなのにどうしてこんなにも病人が多いのか。おそら
く僕ら全部が文明病という病気にやられてるんじやないか。
芦生の問題も病気の一つです。そこでどうしたらいいだろ
う。答は非常に単純です。森を敬えばいいんだ。
おそらく日本の神社の原形は、森を拝むことにあった。さ
わやかな澄んだ流れがあり、森の奥におそらく自然石が一つ
あって、流れの水でまずロを清め体を拭く、いわゆるみそぎ
をして、そして川を越えていって自然石の前に頭を下げた。
それが政治的、社会的なことにからめとられていって、今の
神道のような形になったんじゃないか。これは僕の想像です
よ。それで、人間以前の原生の森と水、その数少ないサンプ
ルの1つが芦生じゃないか。自然っていうのは大きなサイク
ルなんだ。それを一方的、経済的な効用だけで考えてもらっ
ちゃ困る。すでに戦後四十年、もうそろそろ物や金を中心の
文明から解放されてもいい。芦生の森は、今度たっぷり歩か
せてもらって、非常に偉大で高貴な森だというのが僕の判断
です。
もう一つ、違ったところから考えてみましょう。人間はな
ぜ恋をするんだろう。相手の顔の中に、すばらしい風景を見
たいからだ。僕は、ちょうど三十年前知床に入った時、北海
道大学の館脇操という林学の先生を尋ねて行った。その館脇
先生が僕の顔を見るなり、「ああ、君は風景に恋い焦がれて
いるな」という言葉が出て、二人で思わずニタツと笑ったこ
とがあります。建売住宅のほんとに狭い所に、なぜ日本人は
木を植えたがるのか。四畳半の小さなアパートに、なぜ盆栽
を置きたがるのか。それはやっぱり日本人の中に、森と一緒
に生きていたいという原風景があるんじゃないだろうか。
今度の芦生の問題は、僕ら自身の日常の問題を振り返るま
たとないチャンスだと僕は考えている。なぜ京都の水は飲む
に耐えないのか。なぜ子供たちは、殺風景なプールまたは物
騒な原発銀座の若狭湾でしか泳げないのか。なぜ農薬たっぷ
りのまずい野菜を、高いお金を出して食べなきゃならないの
か。いったい何が僕らに欠けているのか。おそらく何も不足
してないんだ。物や金は全然不足してない。足リないのは何
だろう。
では、一つ詩を読みましょう。長野県の南アルプスに大鹿
村という村がある。そこの標高千メートルの所でお百姓をや
ってる友だちを訪ねていきました。彼はちょうど大根を引き
抜いていた。足でがっちりと大地を踏んばって、大根を引き
抜いている風景。すごくすばらしい風景だった。その場で書
いた詩です。
足に 土
手に 斧
目に 花
耳に 鳥
鼻に キノコ
ロに ほほえみ
胸に 歌
肌に 汗
心に 風
これで 十分
僕の話も、これで十分でしょう。どうもありがとうござい
ました。(拍手)
失われていく自然
河野 大変嬉しくもあり驚いたのは、私の恩師である館脇操
先生のお名前が出てきたことです。私は館脇先生の末っ子弟
子でして、お辞めになるほんの二、三年前に教わった恩師な
んです。今、知床の自然の保護をめぐって大変論争になって
ますね。日本中の自然が失われつつあるこの現状の中で、北
海道も決して例外ではないんです。ヤチダモの林や、低地の
ハルニレの落葉樹林は、大規模な伐採にあってほとんど姿を
消しつつあります。ですから芦生の問題は、北は北海道から
南は沖縄まで、日本中で今起きつつあることの一つの縮図が
そこに表現されていると私は思ってるんですね。それから、
今日のサカキさんのお話の中で、私なりにもう一つ非常に感
じ入ったのは、やはりサカキさんの自然を見る目と人を見る
目の優しさです。そういう感性がなかったら、やっぱり自然
保護の仕事なんかできないんじやないかなと僕は思っている
んですけれども。
ナナオ そう、ハートの問題だと思います。今度の知床のこ
とにしても、環境庁と林野庁でお互いにスタンド・プレイを
やってるだけで、問題は森じゃない。政治的なバランスだと
か、面子の問題でやってるにすぎない。
河野 日本の林野行政は、この時代になっても未だに独立採
算などという馬鹿気たやり方をやってるところに、最大の問
題がある。林野庁や営林署の職員がみんな森のことを知らな
いかというと、僕は決してそうは思わないです。にもかかわ
らず、木を伐らなければ自分たちがメシを食えないという状
況を彼らはつきつけられてる。やっぱり、今の日本の政治や
行政の現状がそこにあるわけです。
今、私達が外国に行くと、外国の研究者からレッド・デー
タ・ブック、つまり日本の自然の中で、とりわけ植物で、絶
滅に瀕してる種類のリストはあるのかということを、必ず聞
かれるんです。残念ながら、ないんです。これは非常に恥ず
べきことであって、私も今その仕事を、他の人たちとも一緒
に始めつつあるんですけれども。例えば、芦生の自然の価値
を、今日はいろんな角度から議論してるわけですね。これ
は、曲がりなりにもあるまとまった地域の中に森があり、そ
こには八百数十種類の植物が生えてるんです。そして動物が
いるわけでしょう! それなりにまとまった自然であるから
こそ、ある意味では守りやすいんです。ところが、そういう
地域以外に、しかも細々としか生き延びていないものがけっ
こうたくさんある。しかもその中には日本の固育種、つまり
特産で、その地域にしかないものがたくさんあるんです。
その一つの例は、ユリ科のコバイモとそれに近縁な植物で
す。これらの植物はわずかに1ヶ所ないしニヶ所しかその生
育地が知られていないものも多い。こういうものは、山草家
といわれる人たちに非常に珍重されてるんです。生育地が狙
い撃ちされたら、もう確実に絶滅しますね。それから、河ロ
近くに生えてるいわゆる水草の中にはずいぶんいろんなもの
があるんですが、これも大半が絶滅寸前です。人間による開
発工事のために、本来生えるべき場所がなくなったから。京
都大学の標本室に、百二十万点の標本がありますよ。しかし
ながら、みんな押し葉の形です。それ以外の生きた記録は一
片もないという状況の中で、失われていく可能性の高いもの
がたくさんあるんです。私たちはやはり、この時点でこうし
た事実をしっかりととらえておく必要がある。
人間の本来の姿
河野 私が、今日こういう集まりの中で大変嬉しく思うの
は、圧倒的に若い方たちが多いことですけれども、やっぱり
この機会に大いに自分の目で自然を見て、日本の自然が持っ
てるほんとの姿をじかに肌で感じてもらいたいと思います
ね。芦生のブナの林もいいですよ、杉と一緒になって生え
て。だけども秋田の森吉山へ行って、あのクマゲラが住んで
いるブナの林を見てごらんなさい。それはとても言葉では言
い尽くせない。日本の落葉樹林の美しさは、ある意味ではブ
ナに象徴されると思いますけれども、そういうものは今のう
ちに見ておかないと、ヘタするとほんとに見る機会がなくな
っちゃうかもしれませんよ。
ケヤキのまとまった林を見たことのある人はいますか?
おそらくいないでしょう。これは、僕が知ってる限りでは、
能登半島の猿山灯台の片隅にしかありません。春四月に行っ
てごらんなさい。星山岬から深見の集落までの間、スハマソ
ウがびっしり咲き誇って、すばらしい自然です。日本にはま
だまだそういう自然があるんですね。しかしそれも、我々が
本気になって守ることをしないと、これから先何年もつか保
証はないと思います。
(会場からの発言)ーーー僕は今年の梅雨入り前に四万十川
に行って、自転車で上流から河口まで下りました。魚が豊か
で、森もなかなか豊かで、すごくいい川だったんです。僕は
もともと、吉野川から歩いて五分位の所で育ちまして、子供
の頃の、ダムができる前の吉野川のことをよく覚えてるんで
すが、それ以上に魚が豊かですごくきれいだったんですね。
話は変わるんですが、僕は今岩倉に住んでます。京都市の
はじっこですけど、一応都会だと思うんです。そこに住んで
る自分を肯定的に見て、何ができるかっていうことで、「岩
倉冒険団」っていうのを作ったんです。僕はその団長なんで
す。(笑)今やってることは、わき水を汲んできて、お茶を
入れたりご飯を炊いたり。それから広っぱにテントを張って
地面の上で寝てみたりとか、いろいろできることはあるんで
すよね。今、否定的な見方で専門的意見ばっかりの話でした
けど(笑)、僕のように門外漢で遊ぶのが好きな人間でも充
分自然の中に入っていける。先日芦生を初めて歩きました。
皆さんにも、是非一度芦生を歩いてから、この問題を考え直
すことをお勧めしたいんです。あの美しい所が壊れるってい
うだけで、僕はすごく嫌なんですけど。
ナナオ とんでもないことだね。
ーーー難しいことはわかんないですけど。
ナナオ 単純に「とんでもないことだ」と言う人がいっぱい
出ればいいの。「これが金や物に替えられるか」と。その美
しさ、そこを歩く喜び、うまい空気、安心して飲める水。お
いしい無農薬の玄米と、そのへんの山菜、キノコ、ドブロク
飲んで、歌って踊って(笑)。そうしたいじゃない? それ
が人間の本来の姿さ。縄文時代の人間は、だいたい一週間に
一日ぐらい餌をとりに歩いて、あとは酒飲んで歌って踊って
ただけだ。
ーーそれがいい。(笑、拍手)
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