日記81

59楽エイジに突入

 

写真はマウイの友人宅で開いてくれた夕食と誕生日のお祝い。


6月15日に憧れの59楽エイジに突入しました。

人生のクライマックスの始まり。

黄金時代への幕開けです。

これから30年間は、地球が愛の星へと変容を向かえて行くにしたがって、私の人生も大きく変容してゆきます。

89歳になって (とりあえずそれまでは生きるつもりです)

最後に ああ楽しかったありがとう人生。。。。といって天国に帰っていけるように、

これからは今まで生かされてきたご恩をお返しして行かなければなりません。以外に私ってまじめな人間なんです。


7年前ほど前、まだ、マウイ島のカレッジの学生だった時に、私は寿司バーでウエイトレスのアルバイトをしました。

22歳でじゅん&ネネを解散した理由はいろいろありますが、自分にとっての具体的要因は・・・・・


そのころ六本木の交差点近くにあった洋書センターに、衣装の仮縫いのあとに立ち寄った時のことです。

何気に見つけたノーマンロックウェルというアメリカのアーティストの画集の中に、描かれていたウエイトレスの絵が目に飛び込んできました。

「私もウエイトレスをしてみたい!!、歌以外の他の体験もしてみたい、普通の仕事をしてみたい!!」 衝動的にそう思ってしまったのです。

ノーマンロックウェルが描いたウエイトレスへの憧れが、私の具体的なじゅん&ネネ解散へのきっかけです。

でもそれは、30年後にマウイ島に来てその寿司バーで働くまでは実現しませんでした。

51歳に念願のウエイトレスになった私は意気揚々、毎日気分も高らかに仕事場に出かけて行きたかったのですが・・・

現実は悲惨でした。そして一ヶ月で首になってしまいました。

理由は、、、、前のダイアリーにも書いたので今は書きません。といいながら。。。

ウエイトレスの仕事がいかに自分に合わなかったか・・

まずアメリカの支払方法、計算方法には3通りあります。クレジットでの支払い。小切手での支払い。そしてキャッシュです。

アメリカのレストランの照明の暗さに適応できず、老眼を首にぶら下げて、

その3通りの支払方法を臨機応変にお客様の要求にこたえて出来なかったことが大きな敗因です。

特にグループで食べに来て支払い段階で一人一人別々に支払いを済ませる場合、

「私はカリフォルニアロールとビール」 「僕はえびロールととツナと何々とワイン」 

などと早口で言われてしまうと、老眼をかけていてもついレジを打ち間違えてしまって、もうパニック、おろおろします。

そうすると先輩のローカルハワイアンの小錦みたいなウエイトレスがやってきてくれて、

「あんた又やったのね・・・しょうがないわね、ちょっとどいて私がやるから。」と 助けてくれるのですが、それも3度まで。

そんなこんなでマウイ留学中、寿司バーウエイトレスを2回もトライしたのですが、2回とも一ヶ月以上は続きませんでした。

20代に夢見た、ノーマンロックウェルのウエイトレスの絵のようには行かなかったのです。

2回目の寿司バーは、マウイでも一番おいしいと定評のお店でした。

首になったときにオーナーの日本女性が同情してくれて、お寿司をご馳走してくれました。

その美人オーナーの女性が、テーブルを挟み、傷心でお寿司を食べている私を見つめて励ますように言ったのです。

「ネネさん。。。。女は60歳からよ!!」

「???」 言われた意味が良くわからずに目を点にして、口にはほうばった甘イカをもぐもぐさせている私に

美人オーナーはふっくらとした唇をちょっとすぼめて意味ありげにほほ笑みながら

「もてるわよ!!」

思わず甘イカを飲み込んで私はうなずきました。


「そうか・・・60歳からは、、、もてるんだ。」

私はその美人オーナーの言葉を、心の中で大切にはぐくみ、期待と希望の粉をまぶして、今まで生きてきました。

今年は、やっと59歳、60歳へのイントロダクションです。楽しい楽しい59楽エイジ。

人のために生きることが、そのまま自分のために生きることになるのだと心から理解できる年になったのです。

大人になるとはこういうことをいうのね。

人となって(成人となって)39歳。ますます働き盛りの壮年時代。

そして来年は・・・はじけます。

愛と、感謝と、希望と、情熱を、私の日記を読んでくださるすべての方と分かち合いたいと思います。

たくさんのバースデイメールをありがとうございました。

写真はマウイの友人宅でケーキのキャンドルを吹き消す前に、MAKE A WISH(願望達成のお祈り)

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