ビアンチェンマイ掲載の原稿

Vol.49


今日は8月3日で、昨日三十九度以上の熱が出て、今、頭がもうろうとしている。そのもうろうとした頭に浮かんできたものは、ちょうど1年前の8月3日の満月の夜の大洪水の風景だ。今、パイライフは1年を越え、めぐる季節のようにボクのパイライフも移り変わりゆく。2ヵ月半生活したRIVER VIEWゲストハウスでその満月の夜の大洪水を迎え、深夜の「避難命令」と共にボクの「パイライフ」の第一章の幕が下ろされた。
 自分に与えられた今生の人生路に必ず「キーパーソン」が現れ出るように、旅においてもこの「キーパーソン」の出現は必至だ。この大洪水の少し前にネパールのポカラからパイまでやって来た「陣内」という男も今回の僕の旅の「キーパーソン」で、前からインドや日本で顔見知り程度の関係だったけど、一昨年の暮れに日本を出てスグ、バンコクのカオサンで再会し、以後インドのベナレスで4ヶ月ほど一緒に音楽して遊んだりしてるうちにその「キーパーソン」の密度が練られてゆく。あの満月の大洪水の時も胸まで水につかりながら、深夜阿呆のようにその「キーパーパーソン」と一緒に逃げた。「一巻の終わりだなあ」という想いとバンガローライフの疲れもあって、町の中心にある木造の「立派」なゲストハウスに二人とも移って、唖然と前途を失っていたところ「PSゲストハウス」がいいと耳にした。前に訪れた時は何も感じなかったのに、今回目にした「PSゲストハウス」には「あっ!!」っと感じてしまったのだから不思議だ。まあ同じ本を読んでもその自分の内なるタイミング次第で印象が全く違ってくるのと同じだろう。丁度最初にパイにやって来たボクが町並みに失望してトボトボ歩いていて突如と出会ったパイ川、竹の橋、そして畑の中のバンガロー群を目にした時のあの「あっ!!」という感じと同質のものだった。ボクがまず「PSゲストハウス」に移り、二階建てのバンガローに住み始めた。その頃パイに移住してた日本人は「フミさん」だけで、タイの女性とと共にレゲエバー「モンキーマジック」というお店をやっていて、その彼から引っ越し祝いとかでタイ語のテキストをもらったのかな。その1等最初のタイ語のテキストがとても良くって、忘れもしない8月8日からボクは一日も欠かさずタイ語を始める事になったのだ。も少しで満一年のタイ語学習者となる。タイ北部のチェンライに住んでる水野潮という人が著者で、それ以来この一年の間にボクは彼の全ての著作を繰り返しながら学習している程の中毒患者だ。二週間程、二階建てバンガローに住んでいるうちに水浸しになった川沿いの背丈ほどの草むらの中に幽閉されていた立派な造りのバンガロー発見し、直感的に「陣内だ!!」と想い、いやがる彼を無理矢理連れて来てみたら「あっ!!」と気に入ってしまい、彼もその“立派”なバンガロー生活者に復帰したのだ。それからしばらくの間は、まだ大洪水の後遺症で二人とも「ただ生きてるだけ」状態が続き、そんなある日アキ&タカシというカップルが出現してきて、ボクのバンガローの横にキャンプファイヤーを作ったりボクらの為に七輪で自炊を始めたりして、ボクらの萎えた心に火を燈してくれたのだ。そしてボクのパイライフ第二章の舞台に光が差し込んできた。  

とろん



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