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ボランティア活動には

自分の内面を見つめる目が必要

と話す『ビー・ヒア・ナウ』の著者

ラム・ダス さん

名前のない新聞No.58(1994.11.1発行)より

「私たちはみな助けを必要とし

また助けができる人間です」

 約20年前に出された精神世界のガイドブック『ビー・ヒア・ナウ』の著者ラム・ダスが、この10月に来日した。現在では国際的なボランティア活動に深く関わっているラム・ダスだが、講演会ではスピリチュアルな道に入った自分の体験から、そこでの落とし穴やハイと自由との違いなどについて語ると共に、人間は本来分裂した存在ではなく、相互に依存した有機的な存在であると話し、また今のアメリカと日本の文化の問題点を指摘した。
 そのラム・ダスに、講演会の翌日、インタビューする機会を持てた。〈ア〉

 

 

‥‥日本でも今、ボランティア活動が盛んになってきていますが、新しい本『ハウ・キャナイ・ヘルプ?』で一番伝えたいことは何でしようか。

ラム・ダス● 人が他の人を助けたり、もしくは地球を助けたりするのは、様々な理由があります。それはすぐにも関わる必要のあるようなニーズを満たすこともあるかもしれません。でもその中で、深い悲しみの原因に至るような関わり方をしていることは、ほんとに少ないわけです。例えぱ、私があなたに食べ物をあげる時に、私とあなたの間にある分離がもっと広がるような形であげるということも可能です。でもその場合、おなかがいっぱいになっても、あなたのハートは閉ざされてしまいます。ですから、他の人にとって役に立つと同時に、自分自身にとっても役に立つという両方がとても大事だと思います。もし自分がいい人間だということを感じたいために他の人を助けるとしたら、その相手に「自分は助けが必要な人間だ」と思わせてしまうことになります。ところが一番深い真実というのは、私たちはみな助けを必要としており、同時に助けができる人間でもあるということです。ですからボランティア活動をするとしたら、そのプロセスの一部として、自分自身を知るということが必要だと思います。そうすることによって、その人のやり方が、何物にも執着していない場から出てくるということになります。

‥‥難民の援助もされているそうですが、政治的な活動をしている人たちは、こういう砒判をするのではないかと思います。つまり「難民が生み出される根本的な原因を解決しないと、いくら援助をしても難民がいなくなるわけではなく、対症療法にすぎない」と。その考えについてどう思われますか。

ラム・ダス● 私はこの二つの課題に対して、同時に働きかける必要があると思います。難民を助けることによって、その苦しみを和らげるためにすぐにでもとれるアクションができますし、難民問題の真に根本的な原因を解決するために政治的な課題に取り組む必要もありますし、同時に内面の作業をする必要もあります。現代における難民問題の多くは、人種的な偏見から来ます。アフリカもイスラエルとアラブ、東ヨーロッパでもそうです。私たちは人権という観点から見て、できる限り少ない(最小の)苦しみの状況であるように、常に目を光らせている必要があると思います。例えぱイスラエルとアラブの間の抗争についてもそうですが、問題の真の原因は非常に長い歴史を持っており、かつ恐れに根ざしています。そのため、私たちはそういったテーマについても目をとめる必要があります。ある人が私に言いました。「私たちがお互いに一緒に働くことができるようになる前に、お互いに嘆きあうことができなければいけないだろう」と。

‥‥それは共感し合うということですか。

ラム・ダス● その通りです。つまり相手の側が、自分が理解され、自分の言っていることが相手の耳に届いたと感じられるようになるまで、充分そういうことが行なわれなければいけないと思います。

‥‥そして同時に、政治的な働きかけも大切だということですね。

ラム・ダス● そうです。もちろんそういう行為は困難でありやりにくいものでもありますが、ほんとにそれは必要です。政治というのは、あたかもその社会をリードしていくように思われがちですが、実際はその文化の持っている病いを表現していることが往々にしてあります。そして政治家は、しばしば力の構造の中にはまってしまうわけです。彼らが変わるのは非常に難しいことです。ですから、政治的制度の外にモデルを作り出す必要のあることがあります。その外側のモデルに影響を与えることによって、自然に政治にも浸透していくようなやり方です。私はその両方に働きかける必要があると思います。

‥‥外側のモデルとは?

ラム・ダス● 政治的なシステム、社会的な制度の外に、意識的なコミュニティーを作る必要があるかもしれません。つまり、自覚的に、しかも責任を持って、そして維持可能なコミュニティーを作るということです。

‥‥それは例えば、昔いろんなコミューンがありましたが、そういうものとか、生協のようなもののことですか。

ラム・ダス● はい、私もそういうヒッピーコミューンの中で暮らしていたことがあります。それは自覚的なコミュニティの一つのタイプです。場合によっては、自覚的なコミュニティというのは、宗教的な哲学をべ一スにして作られることもあります。また社会的、経済的な目的をもって作られることもあります。例えばイスラエルのキブツの運動は一つの例です。

環境問題の活動家たちがバーンドアウトするのは
自分自身の痛みや怒りにひっかかってしまうから‥‥

‥‥政治的な活動とか社会的な正義を求める活動、例えぱ環境保護とか反原発等、そういう活動もボランティア活動と同様、自分の目覚めの道とすべきだと思われますか。

ラム・ダス ●全くその通りです。例えぱセーヴァ・ファウンデーション〈*〉のプロジェクトの一つに、バーンドアウト(燃え尽きた/疲れ切った)環境活動家のためのワークショップがあります。彼らの行動はあまりにもフラストレーションを生むようなやり方をしているために、往々にして自分自身を破滅させてしまうようなやり方をとるわけです。こういった環境保護とか社会的正義を求める行動は、とても長期にわたる活動が必要です。そして多くの失敗があり、フラストレーションを伴います。ですから、そういった状況に対応できるような自分の内面的な気づきを育ててゆくことが緊急な課題です。
 ヒンドゥー教のバガバッド・ギータという経典では、このことについて語っています。人は自分のとる行為の結果に執着せずに、完全に純枠な意識を持って成さなければいけない、というものです。私は原子力というものが無くなるように最大限の努力をする一方で、自分自身のハートが純粋な状態に保たれるように努力をします。それが実際にすぐ核を無くすことにつながるかどうかは、私の個人的な範囲を超えた問題ですが、その人ができる最大限のことをするしかないと思います。私は、こういった哲学は、日本ではとてもよく理解されていると思います。

‥‥では、活動家がバーンドアウトする理由は、自分自身を見つめること忘れて、バランスを失っているということですね。

ラム・タス● そうです。自分自身の怒りの中に閉じ込められてしまうのです。彼らはその状況に関して起きている自分自身の痛みの中にひっかかってしまうのです。でもその怒りや痛みは、彼らのやっていることに何の役にもたちません。彼らはどうやってそれに対応していいか分かっていないのです。

‥‥ディープエコロジーの運動があります。ディープエコロジーでも様々なワークショップを行なっていますが、その方法についてどう思われますか。

ラム・ダス● たいへんパワフルなワークショッブだと思います。人間というアイデンティティを超えて、地球であるとか木とか風といったものと同一化する助けになるようなものだと思います。私はジョン・シード<*>のことを非常に尊敬しています。というのは、彼は森林の破壊を止める活動家でもあるんですが、同時に自分の内面に対して一生懸命に働きかける人でもあって、バランスをとって自分の中に静けさとか落ち着きを取り戻すということをやっている人です。

‥‥日本でも今、エコロジーという言葉が広く知られるようになってきました。でも、人間にとって都合のいいエコロジーというものも多いと思います。例えぱ「持続可能な開発」という言葉が流行語のようになりましたが、それは人間が自然を資源として利用するという考えだと思います。

ラム・ダス● 最も進んだ意識の観点からすると、システムの中にあるあらゆる要素が同等の価値を持っということです。木や川や鳥や魚や、そして人間も、すべて同等の価値を持っているわけです。しかし人間中心に考えている人が、少しエコロジカルな意識を持つということは、ある意味でスタート地点としてより持続可能な社会へと向かうきっかけにはなるかもしれません。つまり、そうなると当然、木や魚に対して心配りをするような姿勢がより必要になるわけですから。それはまあ深遠な考え方ではありませんけれども、それでも必要な方向へと導く助けにはなると思います。

断崖に向かって突進している牛の群れを、馬に乗り、先回りして方向を変えようとしているようなもの

‥‥自然保護などの市民活動をやっている時に、よくぶつかる問題があります。特に日本でクジラの保護について話す時に、おまえだって牛肉を食べているだろう、偽善的だ、というような反論が来て感情的な論争になってしまうことがあります。こういった問題をどう考えたらいいと思いますか。

【右段中ごろへ続く】

助け合うときに何がおこるか?

10月5日、東京の湯島聖堂でラム・ダスの講演会が行なわれた。ラム・ダスは30〜40代以上の人なら『ビー・ヒア・ナウ』の著者として知っている人も多いだろう。この本は、精神世界やインドヴームの走りになったような本で、僕自身にとっても昔ファンだったスターに久し振りに会うような感覚があった。

ラム・ダスの旅

元々リチャード・アルパートという名前の心理学者だった彼は、ハーバード大学にいた1960年代のはじめ、同僚のティモシー・リアリーをはじめ、オルダス・ハクスレー、アレン・ギンズバーグなど、アメリカの最高レベルの知識人の仲間たちと、当時合法だったLSD他による精神療法などの意識研究に取り組んだことで知られるようになる。大学をドロップアウトした彼は、1967年にインドを旅した際に出会ったグル(師)からヨガや瞑想を学び、ラム・ダス(神の下僕という意味)という名前を授かった。『ビー・ヒア・ナウ』以後のラム・ダスの活動は、日本ではあまり知られていなかったと思う(僕自身が知らなかっただけかもしれない)が、最近翻訳された本『ハウ・キャナイ・ヘルプ?』を読むと、ラム・ダスがかなり以前から国際的ボランティア活動に深く関わっていたことがわかる。もしラム・ダスが、自分の目覚めだけを求めて修行に打ら込んでいるようなタイプの人だったとしたら、きっと単なる昔のスターを懐かしむような気持ちだけで、特集を組むほどには興味をひかれなかったと思う。また一方、世の中には様々なボランティア活動をしている多くの人がいるものの、ラム・ダスは他者や社会との関わりを、同時に自分の目覚めの道とするという、その両方をバランスよく「統合」された形で実践しているのだ。ラム・ダスが共同創立者の一人であるセーヴァ・ファウンデーションは、インドやネパ一ルで治療や予防の可能な盲目を軽減するプロジェクトやグァテマラの難民援助と農業の復興、ネイティブ・アメリカンの予防医学プロジェクト、またホームレスや環境破壌への関心を喚起するプロジェクトに関わっており、資金源は主にラム・ダスの講演やワークショップの収入から得ている。ラム・ダスはこの他、別の財団などを通じて、囚人に瞑想を教え、刑務所を精神的成長の場とするプロジェクトや、意識的な死を迎えるたのの援助をするプロジェクト、エイズ患者を援助するボランティアの養成、末期患者のケアをする仕事などを続けているという。

右手と左手

『ハウ・キャナイ・ヘルプ?』には、「助け合うときに起こること」という副題がついているが、そういった側面への洞察があるかないかで、表面的に同じことを行なっていても、その意味は大きく違ってくるのだろう。

 僕にとってこの本で一番印象的だったことを簡単に紹介してみよう。一つは、人が他人を助けるという行為は、例えば自分の右手がドアに挟まって痛みを感じた時に、反射的に左手が右手をかばおうとするようなものであるということ。っまり「私」が「あなた」という分離した存在に心配りしなくてはと考えて助けるのではなく、「私たち」だからこそ起こることであって、助けるということは考えたり秤にかけたりして行なうものではなく、開かれた心に自然発生的に起こる本能的行為であるということ。
 またもう一つは、何度も書くようだが、人を助けるという行為を、同時に自分の精神的な目覚めの道とするということだ。

講演会の話にもあったように、山の頂上に至る道はたくさんあるわけだが、ラム・ダスが瞑想一本やりの専門家の道ではなく、裟婆の中で汗と泥にまみれる道を選んだことは、たくさんの人に共感と勇気を与えてくれるものだと思う。講演会でもインタビューでも感じたのは、接する者の心を開かせてしまうような温かさと広さだった。僕だったらアラ捜しをしてすぐに批判したくなるような種類の人に対してでも、ネガティ
ブな面もそっくり受け入れてしまうようキャパシティーの広さがある。また僕なら、自分を否定されたような気がして反撃してしまいそうな質問をされても、まったくそんな小さな「我」にはこだわらない大きな目から見た答えを返してくれた。僕自身との心のスケールの違いを思い知らされながらも、同時に心地よい安心感が感じられ、パワーをもらうことのできたひと時だった。

【注】
* セーヴァ・ファウンデーション:ラム・ダスが共同創立者の国際奉仕団体

* ジョン・シード:ディープエコロジーのリーダーの一人で森林保護活動をしている。

【BOOKS】
『ハウ・キャナイ・ヘルプ?』〜助け合うときに起こること〜
ラム・ダス+P・ゴーマン著
吾妻典子訳 定価1751円
平河出版社 TEL.03-3454-4885



【左段下から続く】

ラム・ダス● これは個人として、どれだけ自分の人格を統合できるかというテーマになってきます。例えぱ、森林破壊の最大の原因は牛肉になります。ですからクジラを助けようとする一方で牛肉を食べている環境保護者がいるとしたら、自分の中のそういう部分を見ようとしていないわけです。そういう分裂的なやり方というのは、最終的にその人自身に対して暴力的に働きます。それでも、クジラを守るために積極的に働きかけることは可能だと思います。ですから例えば牛肉を食べるのを止められないとしても、自分がその問題に対して働きかけようとしているんだ、努力しているんだと言うことはできると思います。自分自身の価値、自分の外側も内側も含めて、どうやって統合していけばいいのか、いろんな側面をどうやって統合していくかということを、私たちはお互いに少しづつ学んでいるのだと思います。例えぱ私は、石油をたくさん消費することについては強く反対しているんです。でも世界中のあっちこっちを飛行機で飛び回っています。で、私はジョン・シードに、そういうことをどうしてできるんだろうと言いました。すると彼が言うには、それはあたかも断崖に向かって牛の一群が突進しているようなものだと。そして自分がやっていることというのは、馬に乗って先回りして、何とかその牛たちを別の方向に変えようとしているようなものだと。‥‥まあこれは彼自身の正当化なんですけれども。(笑)

‥‥肉食のことをもう少し‥‥野菜を食べるのも植物の命を奪っていることになるという見方がありますが、肉を食べることについてどう思いますか

ラム・ダス● 動物の世界を見てみますと、動物が動物を食べています。そして食物連鎖というものがあります。私たちは食物連鎖の一部です。ですから食ぺるために殺すということが一つあります。そのほかにも楽しみのために殺すということがあります。私たちが生態系の一部であり、食物連鎖の一部であるということを受け人れると、例えばアメリカ先住民やチベット人もそうですが、私たちに命を与えてくれる動物に対して感謝を捧げます。そして食べる時に、エネルギーの変容ということが起こります。それから食用として育てられる動物達がどのような育てられ方をしているかという問題もあります。ジョン・ロビンズという人は、牛や鶏がどれだけ多くの苦しみを通らなけれぱならないかということを書いています。私にとっては、それは受け入れがたいもので、反対しています。しかしそれは絶対に食べないということではなく、よりよい飼育法で育てられた肉がない場合に、時々そういう肉を食べることもあります。それは私自身の人格が統合されていない部分だと思いますが。私の食べ物の好みというのは、野菜とチキンと魚です。
 では、最後にもう一つだけ質問をどうぞ。

‥‥講演会のお話でも本でも、心を開くということが一つのキーポイントだと思いました。でもそれは難しいことがよくあります。心を開くコツというのはあるんですか。

ラム・ダス● 二つできることがあります。一つは常に心を開こうと試みるということですね。そして二つ目は、白分の心が閉じていても怒らないということです。というのは、心というのは花のように開いたり閉じたりするものです。私はよく修養としてやるんですが、他の人の中に非常に愛すべき部分を見出すということです。そういう意味では、私にとってみんな愛のある関係の中にいるというふうに見えます。私にとっての愛というのは、その人をコントロールするとか肉体的に接触があるということに限定されません。慈悲〈Compassion〉というテーマについて語るためにただ会うだけでも、それは感じられます。ですからこういうインタビューをすると、私の心は開きます。
‥‥どうもありがとうございました。

(聞き手・文責:浜田光)

  

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